停電の町

創作小説倉庫

途方に暮れる忘年会

 どうしよう。楽しくない。
 目の前の、ぐつぐつ煮えるおいしそうな鍋と、その向こうの男を交互に見て、俺は途方に暮れていた。
 男は無表情に鍋をつついている。俺と目が合うと、にこっと感じのいい笑みを見せた。
 この男は、名前を鳥谷直正というらしい。「らしい」というのは、俺たちはついさっき初めて会い、簡単な自己紹介を済ませたばかりだからだ。
「波多野くんは、かわいい顔をしてるから、モテるでしょ」
 鳥谷は、会話に困ったやつが言いそうな微妙なことを言った。
「いや、そんなことないよ」
 俺は、そう言われたやつがそう答えそうな、いかにもな言葉を返す。謙遜でもなんでもなく、実際モテない。先日、二年も片想いをしていた相手にふられたばかりだ。鳥谷がなにを思って「かわいい」と表現したのかは知らないが、俺はいたって普通の、どこにでもいそうな薄く平凡な顔立ちなのだ。
 忘年会は、俺と、友人である石崎と三戸の三人で行われるはずだった。俺の失恋残念会も兼ねて、俺の部屋で鍋パーティーをしようという計画だったのだ。しかし、直前に三戸から来られないと携帯に連絡があった。俺は、鍋の準備を進めている最中だった。
「人数合わせなんだけど、急に合コン誘われちゃってさあ」
「おまえは、たったいまからEDに悩まされることになるだろう」
 電話の向こうでうれしそうにしている三戸に呪いの言葉を贈り、俺は通話を切った。男同士の友情がこんなに儚いとは。仕方がない。石崎とふたりで忘年会だ。俺は鍋の準備を続ける。酒類は石崎が買ってきてくれることになっていた。
 しかし、時間になり呼び鈴が鳴ったので出てみると、見知らぬ男がドアの前に立っていたのだ。
「え、だれ?」
 思わず言ってしまった。男は少し悲しそうな表情になったが、仕方がないと思う。
「こんばんは。鳥谷直正と言います。石崎の代理できました」
 代理? なんだそりゃ。あっけにとられて黙っていると、鳥谷は、「ちなみに同じ大学です。三回生です、同学年だよ」と、俺と自身を交互に指差して言った。
「そうですか」
 俺はやっとそれだけ言って、
「波多野徹です」
 一応、自己紹介を返す。
「知ってます」
 鳥谷はそう言って微笑んだ。
「これ、ビールです」
 鳥谷は、持っていたビニール袋を胸の高さに掲げて見せた。六本入りパックの缶ビールをふたつ買ってきたようだ。
 とりあえず、鳥谷を部屋に上げ、カセットコンロに鍋をセットする。
「あの、石崎はどうしたんですか」
 尋ねると、鳥谷は首を傾げた。
「さあ。僕は、『酒買って、とにかく代わりに鍋パへ行ってくれ』と言われただけなんで」
 なんだそりゃ。俺はスマートフォンを手に、鳥谷に聞かれないようにベランダに移動して、石崎に電話をかける。
「なんか親父が大変だって妹が泣きながら電話してくっから急いで実家帰ったらさ、ただのギックリ腰だったんだよ」
 スマホの向こうの石崎は途方に暮れたような声でそう言った。石崎の実家は新幹線で二時間かかる。
「今日は、もうこっち泊まるわ。三戸が行けないって聞いたから代わりのやつ行かせたんだけど、ちゃんと行ってるか?」
「きてるよ。そういう事情なら中止にしたってよかったのに。別に代わりをよこさなくてもさあ」
「大丈夫だよ。そいつ鳥谷って言って、バイトいっしょなんだけど、すげーやさしいから」
「そりゃ、やさしいだろうよ。代わりに行ってくれって言われただけで、見ず知らずのやつの部屋にちゃんと酒買ってきちゃうんだもんよ」
 やさしいというよりも、お人好しだ。
「てか、そういうことじゃなくて、お互い初対面なんだから気まずいじゃんか。別に代理とかいらんかったって」
「でも、おまえ、もう鍋の準備してただろ。鳥谷が行かなきゃひとりで鍋食べることになってたけど、よかったの?」
 俺は黙る。それは、さすがに寂しすぎる。泣いちゃうかもしれない。
「まあ、いいや。親父さん大事にしろよ。ギックリ腰って、つらいらしいぞ」
 俺は言って通話を切る。部屋に戻ると、どことなく不安そうな表情で鳥谷がこちらを見ていた。
「あの、鍋食べましょうか」
 俺は言う。鳥谷は、ほっとしたようにうなずいた。
「じゃあ、ええと……」
 缶ビールのプルトップを上げながら、乾杯とかしたほうがいいのだろうか、と考える。一応、忘年会なのだし、したほうがいいのかも、という結論に達した俺は、
「えー、一年間お疲れ様でした。乾杯!」
 グダグダな音頭を取り、鳥谷が掲げている缶に自分の缶をコツンとぶつけた。
「乾杯」
 鳥谷は、なにがそんなにうれしいのか、満面の笑みでそう言った。
「波多野くん、鍋おいしいよ」
 鳥谷が言う。
「ありがとう」
 市販のスープに切った具材を放り込んだだけの鍋だが、悪い気はしない。
 しかし、会話が続かない。いくらひとりで鍋をつつくよりはましだと言っても、やはり初対面同士だ。会話が弾むわけがない。そこはかとなく楽しくない。どうしよう。
 俺たちは、黙々と鍋を食べ、ぐびぐびとビールを飲んだ。間が持たないものだから、どうしても飲むピッチは速くなる。
 俺が四本目の缶を開けたところで、さっきのモテるモテないのくだりになった。
 鳥谷の顔を改めて見る。かっこいいと騒がれるような派手さはない。どちらかというと地味なほうだ。しかし、整った顔立ちをしている。美人と表現してもいい。
「鳥谷くんこそ、モテそうだけど」
 俺が言うと、んふふ、と鳥谷は笑った。もう酔っているのかな、と思う。鳥谷はまだ二本しか飲んでないのに。酒は、あまり強くないらしい。
「モテるよ」
 鳥谷は言った。肯定しちゃうんだ、と驚く。
「でも、僕、女の子ダメだから」
「え」
 鳥谷の言葉に、俺の脳みそは一瞬フリーズした。固まっている俺を見て、鳥谷は楽しそうにきゃっきゃと笑う。なんだ、冗談だったのか、と俺も笑っていたら、「俺、本当は波多野くんのこと前から知ってたの。ずっといいなって思ってたんだよ」と真顔で言われ、再び固まってしまう。そして鳥谷は、「本気にしてるー!」と言いながら、きゃっきゃと楽しそうに笑うのだ。酔うと笑い上戸になるらしい。いや、普段の様子なんて知らないけど。
「鳥谷、おまえたち悪い」
 もう、こんなやつ呼び捨てでいい。鳥谷は、んふふ、と笑う。
「波多野くんは彼女とかいるの?」
 会話は世間話に戻ったようだ。
「いない」
「好きな人は?」
「いたけど、こないだふられた」
「童貞?」
 明け透けに聞かれ、ぎょっとする。思わず、うなずいてしまった。鳥谷は笑うでも馬鹿にするでもなく、「キスは?」と続けて聞いてくる。
「したことない」
 嘘をついても、ばれた時に余計恥ずかしいので素直に答えてしまう。意外だなー、と鳥谷は間延びした口調で言い、続けざまに、
「してみる?」
 などと言うものだから、俺は反射的にぶるぶると首を振った。鳥谷がこらえ切れないという感じに笑い出す。
 また、からかわれた。そう気付いて、無性に腹が立った。
 俺は、鳥谷のそばににじり寄ると、そのシャツの襟を掴んで自分のほうに引き寄せ、鳥谷の唇に自分の唇を合わせた。反撃のつもりだった。いくら鳥谷だって、まさか本当に男とキスをすることになるなんて予想していなかっただろう。いい気味だ。勝ち誇った笑みを浮かべたのも束の間、鳥谷は驚いたように俺を見て、「初めてのキスの相手が、僕でよかったの?」と、そう言った。そう言われると、さっきの腹立ちが急にしぼんでしまい、後悔だけが残る。一気にアルコールが醒めたような心地になった。よくない。初めてのキスの相手が男とか、絶対よくない。
 俺はきっと情けない顔をしていたのだろう。鳥谷もつられたように情けない顔になった。
「ごめんね」
 鳥谷が言う。
「さっきは冗談にしちゃったけど、僕が女の子ダメっていうの、本当なんだよ」
 ぎょっとして、少し鳥谷から距離を取ってしまう。鳥谷の眉がわずかに下がったので、なんだか申し訳ない気がした。
「あと、波多野くんのこといいなって思ってたのも本当」
 手を握られた。逃げられない。
「まさか、こんなふうにふたりきりで鍋パできるなんて思ってなかったけど」
 鳥谷は言い、石崎に感謝だね、と微笑む。
「波多野くん、忘れちゃってるみたいだけど、入学式のあと、僕たち一回話してるんだよ。波多野くん、僕にシャーペン貸してくれたでしょ」
 確かに、入学式の時、誰かにシャーペンを貸した記憶がある。入学式が終わった直後だ。なにか、連絡事項をメモしなくてはいけなかったのだと思う。近くにいたやつが困っていたので持っていたシャーペンを貸した。俺は、それが鳥谷だったのかどうかも覚えていない。
「あのね、さっきので我慢できなくなっちゃった。もう一回したいんだけど」
 鳥谷が言う。
「もう一回?」
 俺は、馬鹿みたいに鳥谷の言葉を繰り返す。
「うん。波多野くんの初めては、もうなくなっちゃったんだから、普通にしちゃってもいいよね」
 俺はぶるぶると首を振る。
「大丈夫、大丈夫。一回も二回も同じだよ」
「同じじゃないと思う」
「大丈夫。僕、波多野くんのこと好きだし、上手だし、きっと気持ちいいよ」
 さらっとそう言って、俺の腰をしっかりとホールドした鳥谷は、もう片方の手で俺の顎を持ち上げ、なんの躊躇いもなく、むしろ嬉々としたように口づける。あ、こいつ本当なんだ、と改めて思う。ぬるり、とまるでそういう生き物みたいに侵入してきた鳥谷の舌の動きに翻弄されるうち、びっくりするくらい気持ちよくなってしまい、もっとして、と、ねだるみたいに、俺は鳥谷のシャツの胸のあたりをぎゅうぎゅうと握りしめ、挙げ句、もうどうでもいいや、という境地まで達してしまった。鳥谷、本当に上手いんだな、と、ぼんやり思う。体重や舌やくたっと砕けた腰や、諸々すべてを鳥谷に預けて、俺は、ただただ気持ちいいほうに流された。
 これは、やばい。こんなに気持ちいいことを覚えてしまっては、非常にまずい。頭のどこかで、危険信号が点滅しているのだけれど、身体が言うことを聞かない。泣きそうだ。
「せっかくこうして知り合えたんだし、これからもっと仲良くしてくれるとうれしいな」
 鳥谷は本当にうれしそうに、にっこりと笑った。俺はすでに涙目だ。
「大丈夫、こわくないよ。僕やさしいし」
「自分で言うなよ、もう」
 言いながら、俺は途方に暮れていた。

 その夜、求められるままに鳥谷と何度もキスをし、くっついたままいつの間にかそのまま床で眠ってしまっていた。お互い酔っぱらっていたため、ただただ気持ちのいいほうに流された。
 目が覚めた時にはもう日が昇っていて、酔いの醒めた俺たちは、なんとなく照れながら、一応、という感じで連絡先を交換して別れた。
「また遊びにきてもいい?」
 帰り際に、鳥谷は言った。
「うん」
 俺は、胸の内に膨らむ、正体不明の期待に気付かないふりをしながら、うなずいた。
 大学はすでに冬休みに入っている。俺の部屋には鳥谷がいて、俺たちはやっぱりキスをしていた。
 軽く触れるだけのキスから始まり、だんだん深くなっていく。鳥谷の舌が俺の舌にやわやわと触れると、気持ちがよくて股間がうずく。俺がそんなふうになっていることに、鳥谷は気づいているのかいないのか、キス以上のことはしてこない。
 どちらもバイトのない日は、ときどき会って、こんなふうにキスをしている。なんというか、キスをするためだけに会っているような気がする。
「女の子ダメって気づいたの、いつ?」
 恋人同士みたいにべったりとくっついた距離感で、そんな質問をする。
「結構、最近だよ」
 鳥谷は、なんでもないことのようにあっさりと答えた。
「幸か不幸か女の子にはモテたから、いろいろ試してみたんだけど、やっぱりダメだったよね」
「そうなんだ」
 いろいろ、の内容が気になったが、生々しい雰囲気を感じたのでスルーする。
「波多野くんは、女の子のほうが好き?」
「俺……俺は、わかんない。でも、たぶん、どっちも大丈夫なのかも……」
 いままで好きになった相手は女の子だった。だけど、鳥谷の与えてくれる快感を、こんなふうに期待し、受け入れてもいる。そもそも、女の子とはこういうことをしたことがないので、本当に女の子のほうが好きなのかどうかもわからない。鳥谷とこんなふうになってしまってからは、二年間も片想いをしていたあの子のことすら忘れてしまいそうになっているのだ。俺は混乱していた。いままで自分の性対象は同年代の女性だと思っていたのに、どうしてこんなにも鳥谷に欲情してしまうのか。
「本当? じゃあ、僕にもチャンスがあるね」
 そう言って、鳥谷はまたキスをしてくる。
 鳥谷がしてくれる気持ちのいいキスを最後まで受け入れてから、
「わかんない」
 やっと俺は言った。
「けど、鳥谷とこうするのは、気持ちがいい」
「本当? 波多野くんて、気持ちがよければ、相手が僕じゃなくてもいいんじゃないの?」
 意地悪そうな笑みで、鳥谷はそんなことを言う。そうかもしれない、と一瞬思うものの、俺に初めて気持ちのいいことを教えてくれたのは鳥谷なので、そういうことは全部、鳥谷にしてほしいとも思う。ひな鳥の刷り込みみたいなものかもしれない。
「そんなことない。鳥谷にしてほしい」
 なのでそう言うと、鳥谷は、少し驚いたように目を見開いた。そして、「波多野くんは、やっぱりかわいいね」と、触れるだけの軽いキスをしてくる。
「それって、もう、僕のこと好きってことだよね」
 唇を離して、鳥谷は言った。
「そうは言ってない」
「言ってるのと同じだって」
 言いながら、鳥谷は俺の耳たぶを唇で食む。背中から腰にかけて、纏わりつくような快感が走った。
「う……」
 思わず小さな声が出てしまい、俺はぎゅっと目を瞑る。
「ねえ、波多野くん。ちゃんと好きって言ってくれたら、そしたら、もっと気持ちいいことしてあげるよ」
 耳もとで囁くように言われたその言葉に、期待が高まってしまい、
「もっと?」
 思わず問い返していた。
「うん、もっと」
 鳥谷は言い、俺の服の裾からひんやりとした手をすべり込ませ、
「でも、好きって言ってくれるまでしない」
 指でへその周りをくるくるとなぞりながら、そう言って意地悪そうに微笑む。ずるい、と思う。
「波多野くん、気持ちいいこと好きでしょ?」
 俺はうなずき、「……好き」と小さく呟く。
「どっち? 気持ちいいことが? 僕のことが?」
「……どっちも」
「うん、まあいいや。よくできました」
 鳥谷は笑い、同時に、鳥谷の指が、つつつ、と胸元に移動した。敏感な部分を這う冷たい指に、腰が揺れる。俺は、ただ、もっと鳥谷にさわってほしくて、鳥谷の首の後ろに腕を回し、自分から鳥谷に口づけた。
「かわいい、波多野くん。好き……」
 鳥谷は言う。その表情には、いつもみたいな余裕がなくて、俺はなんだかせつなくなった。幼い子どもがぐずるときみたいな、ぐずぐずな気持ちで、俺は鳥谷にしがみつく。
「波多野くん、好き」
 耳元で鳥谷の声を聞き、俺は、好かれるのって気持ちがいいんだなあ、と思った。